◉この万年カレンダーは
経過日数を含め、全ての期間に於いて新暦(グレゴリオ暦)で表示しています!。 しかし、歴史的観点から、
正式には、西暦1582年10月4日(木)まではユリウス暦(閏年は400年に100回)、次の日を10月15日(金)とし(10日省略)グレゴリオ暦(閏年は400年に97回)で表示します。
400年の長さ↓
ユリウス暦 146100日(365.25日/年)
太陰太陽暦 146098.68日(平均365.2467日/年)
グレゴリオ暦 146097日(365.2425日/年)
太陽年 146096.8776日(365.242194日/年)
太陽年に近いほど正確になります。400年でユリウス暦は約3日の差、グレゴリオ暦では
0.12日(約3時間弱)の差が生ずるだけです。 グレゴリオ暦より、差の小さな置閏法(ちじゅんほう)も考案されているようですが、閏年の求め方が簡単なことから、今でもグレゴリオ暦が広く使われています。
余談ですが、太陽の寿命は約100億年で現在46億年経過とのことです。地球は春分点を基準に1年(約365.242194日)かけて太陽を1周し公転しているとのことです。
◉ 太陽年の春分日と秋分日の計算表示は1980年から2099年迄としています。
国立天文台の計算式⤵
【国立天文台が定めた計算式】簡易計算法(1980年から2099年に適用)
春分日 = 切下げ整数( 20.8431 + 0.242194 * (年 - 1980) - 切下げ整数( (年 - 1980) / 4) )
秋分日 = 切下げ整数( 23.2488 + 0.242194 * (年 - 1980) - 切下げ整数( (年 - 1980) / 4) )
1980年3月20日20時14分4秒が春分点通過の瞬間の時刻であり、
同年9月23日5時58分16秒が秋分点通過の瞬間の時刻となります。
春分
の日・秋分
の日は
の付きです。移動します。
将来もたぶん祝日としては計算日になると思いますが(地球の運行状態は常に変化しているため、将来観測した結果が必ずしも計算式どおりになるとは限らないとのこと)。
尚、
翌年の祝日は毎年2月1日頃に内閣府から公示され確定します。
(参考)カレンダー上では、
「祝日」と「の付きの祝日」は違います。
海の日やスポーツの日などの の付き祝日は閣議決定で日を移動できます。但し、春分の日と秋分の日は国立天文台の「歴要項」で移動します。
2020,2021年はコロナウイルスによるオリンピック開催日調整で祝日(海の日,スポーツの日,山の日)が移動しました。
元日、憲法記念日と天皇誕生日は(唯一の固定日または歴史的事実日なので)移動はできません。の付きではありません。
尚、1985年から2006年までの”国民の休日(2007年から5月4日のみどりの日となった)”と1973年からの”振替休日”は祝日でなく法令での休日になります。
昭和天皇の祝日は1927年からの「天長節」→1949年から「天皇誕生日」→1989年から「みどりの日」→2007年から「昭和の日」と祝日名称変更がなされ、
の付きになりました。
日本の1967年から施行された「建国記念の日」は
の付きです。日本書紀では初代神武天皇の即位日(紀元前660年2月11日)ですが、ほんとうに天皇が実在したかどうかは明確ではありません(歴史的事実は不明確)。
の付きなので画期的な新事実などがあれば、移動可能ですが……。
フランスの「建国記念日」は7月14日です。『フランス革命のきっかけと言われる1789年7月14日に起きた、「バスティーユ牢獄襲撃」が起源だからとのこと。これはれっきとした歴史的事実です。
の付きではありません。日付の移動はできません。
◉ 祝日は1948年7月20日以降の「国民の祝日に関する法律」施行から表示しています。
(余談1) この法律では宗教色をなくす意図で祭日(新年宴会や神嘗祭など)は廃止されました。尚、祭日とは『1947年以前の皇室を中心とする神道のお祭りの日』を言います。
(余談2) ㊊ハッピーマンデー制度により2000年に成人の日と体育の日(スポーツの日)が2003年に海の日と敬老の日が月曜日になりました。
(余談3) 元日は1月1日の一日中、元旦は1月1日の午前中 を意味します。
(余談4) 節分,土用,彼岸などの雑節は明治20年(1887年)からグレゴリオ暦カレンダーに併記され、行事として広まったようです。
◉ ≪このカレンダー上の留意点≫
元号の『令和』の未来と『祝日(今年から2年後以降は)』は閣議決定や「
歴要項」で決められた官報で確定なので予測表示になります。
◉ 西暦横の日本の時代と年号(明治~令和)表示は
サイト「歴史まとめnet」の 日本史 からの情報をアレンジしています。変更点は三つで
① 弥生時代(紀元前4世紀~3世紀)から古墳時代(3世紀~西暦591年迄)の区切りは曖昧なので、仮に西暦251年から古墳時代として表示しています。
②次の室町時代移行に2年間ブランクができてしまいますので、鎌倉時代は1333年迄でなく1335年迄にしています。
③時代の区切り年は『~まで』が次の時代の『~から』と同じ年のときはカレンダー上は区切りが必要なので『~から』を基準に時代開始年としています。
sssss
(参考)歴史研究で、2011年迄の教科書では語呂合わせで「1192(いい国)つくろう鎌倉幕府」でしたが、2012年からは「1185年(いい箱)つくろう鎌倉幕府」になっています。また、1180,1183,1184,1190年などの諸説もありあります。
◉年号(1868年から表示)は公文書ベース(天皇の在位期間、1年は元年)で表示しています。
また、大正・昭和は即日改元であったため
[明治45年7月30日]、[大正元年7月30日]
[大正15年12月25日]、[昭和元年12月25日]
はともに存在します。
◉明治元年から明治5年までの元号日付は旧暦で表記しなければなりません。➡このカレンダーは新暦(明治6年1月1日からグレゴリオ暦日付と一致)なので、この期間の元号日付表記には利用できません。
Yahoo!知恵袋によると、『赤穂浪士吉良邸討ち入りは、旧暦では元禄15年12月14日寅の上刻です』。旧暦では『夜明け』が日付変更だったため,実際は翌日の未明でも元禄15年12月14日だった。新暦のグレゴリオ暦では1703年1月31日の午前3時から午前3時40分の事件でした。
電気のない時代、『ちなみに、14日に決行したのは、晴れていれば満月だから。これ江戸時代の常識。』だったそうです。
この事件の場合も約束事としては、
元禄15年12月14日(西暦1703年1月30日)などと表示します。
約束事➡【
明治6年よりも前の日本史上の事件の日付は、年号表示では旧暦(太陰太陽暦)で、
西暦表示では1582年10月4日まではユリウス暦、翌日1582年10月15日からはグレゴリオ暦で表示します。】
(例1:西暦1582年10月15日以降のとき)
元号と西暦の両方で表示する場合は
『大政奉還は、慶応3年10月14日(1867年11月9日)に江戸幕府第15代将軍・徳川慶喜が政権返上を明治天皇へ奏上し、云々 ...』などとなります。
(例2:西暦1582年10月4日以前のとき)
元号と西暦の両方で表示する場合は
『平安京は延暦13年10月22日(794年11月18日)から明治2年頃(1869年頃)まで日本の首都だった。』などとなります。
あえてグレゴリオ暦で表示するときは、
『平安京は延暦13年10月22日(グレゴリオ暦794年11月22日)から明治2年頃(1869年頃)まで日本の首都だった。』などとなります。
くどいようですが、正式には、”鳴くよウグイス平安京”の794年はユリウス暦になります。
このカレンダーは西暦0年から275760年8月迄(➡JavaScriptの計算可能限界月)は
全てグレゴリオ暦表示です。
(1582-10-14日迄は ⬇ 仮表示←強調です)
0000-01-01から1582-10-04まではユリウス暦です。➡これが正式な西暦カレンダーです。
ユリウス暦の0年1月1日は、計算上では木曜日(垂仁28年12月6日:庚午)です。しかし、実際は、混乱により紀元前6年から紀元7年までうるう年を置かなかったので➡ユリウス暦の正式な0年1月1日(垂仁28年12月8日:壬申)は土曜日になります。
また、1年1月1日も計算上は土曜日ですが、正式には日曜日になります。
『西暦1582年10月4日(木)まではユリウス暦(閏年は400年に100回)、次の日を10月15日(金)とし(10日省略)グレゴリオ暦(閏年は400年に97回)とする。』は、0年から西暦1582年迄のユリウス暦で入れすぎた日数は計算上12日(1,2,3,5,6,7,9,10,11,13,14,15百年の2月29日)となります。しかし、実際のユリウス暦では西暦0年と4年の2月29日が存在しなかったことから、ユリウス暦からグレゴリオ暦への移行に伴う10日間省略の意味が理解できます。
ちょっと余談になりますが、
しかし、この日(1582年10月15日:天正10年9月19日)にグレゴリオ暦に改暦したのはカトリック国のイタリア、スペイン、ポルトガルだけで、プロテスタントなどの国ではユリウス暦のままでした。
また、キリスト教では春分日を基準に最初の満月の次の日曜日を復活祭としているとのことです。春分日が1582年時点で約9.8日ズレていました。それを無視できなかったローマカトリック教会は改暦にあたり、10日間省略を決定しました。
(注記)以上の結果からの『正式なユリウス暦』は、ここでは『正式派』とします。実際は、曜日(日~土曜日)概念採用はローマで3世紀頃からです。西暦元年頃の曜日は不明瞭で、ここでは『不明瞭派』とします。しかし、0年と4年の2/29が存在したとするアプリが現在主流です。ここでは『計算上派』とします。
ここでの、正式、不明瞭、計算上は説明上の仮称表現です。
(追記)ユリウス暦の0年~4年の期間は『正式派』と『不明瞭派』と『計算上派』の3種類あるので留意が必要です。
状況により、些細なことは無視できます。しかし、人類の先輩の過ごした日々は歴史的事実です。実在しなかった4/2/29や実在した1500/2/29などの日付は無視できませんので、ユリウス暦は必要です。グレゴリオ暦だけでは対応できません。私は『正式派』が しっくり します。
『計算上派』はユリウス暦(0年2月と4年2月に29日付ありで計算しています。よって『正式派』と比べると、今日迄の西暦0年1月1日からの経過日数は2日長くなります。
ちょっと余談になりますが、
尚、上の元号日付右横の:庚午と壬申などは、国立天文台の西暦↔和暦データベースからの情報です。
西暦0年(正確には紀元前1年)1月1日時点で曜日に相当する表現はないので、六十干支(紀元前1600年頃から中国の商王朝で使われ初めてました)で表わしています。
ここては日で用いていますが、六十干支を年で用いると『60年で干支が一回りするため、60歳になることを還暦を迎える。』などとなります。
日付と時刻を国際的に統一標準化する機構のISO 8601では、『グレゴリオ暦の0年から1582年の範囲は事前に送信側と受信側との間での合意がある場合のみ使うことができる。』となっています。
➡この万年カレンダーは1582年以前もグレゴリオ暦表示です。合意できなければ、。西暦1582年10月以前のカレンダーは正式でないので利用できません。
(補足)1582年以前は、このアプリの年タップでウキペディアのカレンダーにリンクすれは、『計算上派』のユリウス暦が確認できます。
(休憩1)
明治政府は1872年11月9日に太陰太陽暦(旧暦)を廃止し、太陽歴(新暦:グレゴリオ暦)を採用することを公布しました。その時に定められたおよその内容は
㈠ ✿1日を24時間の「定時法」とする。うるう年は西暦年が4で割り切れる年はうるう年。但し例外として、整数で西暦年が100で割り切れて400で割り切れない年は平年(1年は365日)とする。
㈡ ✿7日毎に曜日(日,月,火,水,木,金,土)を設定し、それを1週間とする。
㈢ ✿旧暦の吉凶などの占いに利用していた『十ニ直、二十八宿、六十干支、六曜』などの占い表示は科学的根拠がないので廃止する。
➡ところが、江戸初期から庶民のあいだで広まっていたカレンダー(伊勢暦など)の
星占いで日々の活動を決めるのが一般的だった慣習を変えたくない人々などにより、出版元をわからなくした違法な『占い付き闇カレンダー』が出回りました。
合法カレンダーより も人気がありました。特に、江戸時代から続く複雑な十ニ直(北斗七星の動きからの星占い)、二十八宿(赤道帯に沿った28の星座での方角占い)、六十干支(四柱推命など)からの占いは神秘的で重要視され、闇カレンダーのメジャー的存在でした。←昭和初期まで。時は流れ…
第二次世界大戦後のカレンダー作成自由化に伴い、敗戦からの復興に寸暇を惜しまず働いた時世も影響したかはわかりませんが、
シンプルな六曜を記載したカレンダーが普及しました。十ニ直と二十八宿と六十干支などの占いは複雑すぎて日の目を見なかったのかもしれません?。
そして、現在も日本のカレンダーに六曜は広く表示されています。結果が占いと合致していれば、科学的根拠がなくても信じるのが人間なのかもしれませんね。
NHKのチコちゃん情報によると
大安 1日中 吉
仏滅 1日中 凶
先勝 先が勝つ⇨ 午前 吉
先負 先が負け⇨ 午前 凶
友引 友を引き込むので
⇨ 葬式は✕
赤口 鬼がおとなしい⇨ 昼の2時間が吉。仏滅より凶ととられることも...とのこと。
また、最近は公共機関や企業の配布カレンダーでは、敢えて六曜を外したのもあります。社会生活に与える影響に配慮して と思われます
(余談)カレンダーの土曜日が青いのは1974年版カレンダーからです。1973年の第一次オイルショックで物価高騰、省資源化に伴い土曜日を休業日(または、半ドン)とする企業が増えたのと、当時の印刷技術の原色は黒黄赤青しかなく黄色より見やすかった。とのことです。
㈣ ✿旧暦の明治5年12月3日を新暦の明治6年1月1日(グレゴリオ暦の1873年1月1日)とする。
㈤ ✿明治元年1月1日は旧暦の慶応4年1月1日に遡って適用する。
よって、明治元年から明治5年(1872年)までの元号日付(旧暦)は、旧暦(年の日数は353 354 355
384 385の 5種類もありました)故に、このアプリのカレンダー日付(新暦)とは一致しません。
明治5年は、改暦がなければ、この年の1年間の長さは355日間となるはずでしたが、改暦によって年間日数が最短の327日となりました。
およその内容は以上です。
江戸時代までは1週間、曜日という考え方はなく曜日に相当するのは大安や友引の六曜(中国から日本への伝来は14世紀の鎌倉時代で暦に併記されていた)が使われていました。グレゴリオ暦の採用とともに「日曜日が休みで始まり」という考え方が広まりました。
時刻に関しても、江戸時代までは
①現在の23時から、
十二時辰(子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥)で1日を12等分し刻とし、刻をさらに4等分(最小単位30分)や上・中・下で3等分(最小単位40分)して時刻を知る方法や、1日を100等分する方法などがありました。←原則「定時法」で『夜明け』が日付変更だった。
(例)「丑三つ時」は午前1時~午前3時の丑の刻で4等分の三(30分x3)で午前2時~午前2時30分頃の時間帯を指します
➁また、日の出から日の入までを6等分し[明け一つ]~[明け六つ]と呼び、日の入から日の出までを6等分し[暮れ一つ]~[暮れ六つ]と呼ぶ方法などがありました。←原則「不定時法』
(参考)今でも、午の刻(=11:00~13:00)の真ん中12:00を正午とし午前/午後の慣習は残っています。
③ ①➁のいいとこどりの和製時計方法などがありました。十二時辰などで時刻を知りつつ、日の出・日の入も超大切にする、現代の時計のように分針・秒針はなく時針のみでした。季節によって手作業で文字盤を変え時間の長さが変わる時計で「不定時法」でした。
以上、時刻の概念はバラバラで複雑なプロトコル(=約束事)でした。
尚、「定時法」の統一標準化されたプロトコルの『時分秒』と言う考え方はグレゴリオ暦の採用とともに徐々に広がっていきました。
(補足) 和製時計には・水時計(飛鳥時代:671年6月10日~)・線香時計(江戸時代:1本で約30分など)・携帯日時計(江戸時代:夜や雨天時は使用不可)・ゼンマイ式和時計(江戸後期:大名や富豪商人が買える時計で季節ごとに敢えて文字盤を変えて時刻調整していた)などがありました。
そして時報は、お寺の『時の鐘』やお城などからの『時太鼓』の打数(時代や地域でバラバラなプロトコルでした)で時刻を知らせていました。それを聴いて人々は生活リズムを整えたようです。
時は流れ…1920年(大正9年6月10日)の『時の記念日』をきっかけに、おおらかだった時の認識が徐々に変わっていったとのことです。
原子時計が利用される現代、地球の回転速度にムラがあることがわかり、年によっては通常6月か12月の末日などで「うるう秒」調整が1972年から実施されています。2021年までに実施された閏秒は27回で、すべて1秒追加だったのことです。よってイギリス付近(経度0度)の大晦日のカウントダウンは1秒増減することもありえます。日本(協定世界時+9時間)では午前8時59時分59秒に調整されます。
しかし昨今、ネットサービスなどの大規模障害が今後も懸念され、廃止派と支持派が対立しています。しかし約12万年後?に昼夜逆転の可能性もありえるため、「うるう秒」調整方法は2023年以降どうするのかは2022年時点で未定とのことです。
最新サイト情報(2022年11月21日時点)で2035年までにうるう秒を廃止することが決まったようです。しかし、12万年後?には既にグレゴリオ暦より正確な新暦が開発されているか、人類が滅亡してるか?誰にもわかりません。
(注目)
月と太陽を併用する旧暦(太陰太陽暦)はユリウス暦より正確だった。
日本の旧暦➡月が新月になる日(周期は約29.5日)を毎月1日とし30日の月を「大の月」、29日の月を「小の月」として
(平年は1年が353日~355日で12ヶ月、閏年は1年が384~385日で季節のズレを調整するために閏月を設けて13ヶ月)としていました。
ザックリ解釈ですが、閏年に『13月』を追加するのでなく、季節とのズレが1ヶ月を超えるタイミング(19年間に7回程度)で閏月を置いていました。例えば、8月に調整するのであればその翌月が『閏8月』その翌月が9月となりその年は13ヶ月となりました。
(参考1) 日本の旧暦では、1月~3月は春、4月~6月は夏,7月~9月は秋、10月~12月は冬でした。「中秋の名月」十五夜は必ず8月15日でした。 ザックリ解釈(=間違いの可能性大)ですが、閏8月のある年の「中秋の名月」は調整年なので閏8月のほうが満月にちかかったと思います。
提灯が高価な時代、月明かりは大切でした。今でも、太平洋側では月引力による干潮満潮情報も大切です。季節と密接に結びついた農事には太陽の二十四節気は大切です。
極論すれば、太陰暦(≒月の満ち欠け)と太陽暦(≒地球の太陽公転周期)を組み合わせたものが旧暦(=太陰太陽暦)だともいえます。
(参考2) 現在で閏月を設けない純粋太陰暦(≒月と季節の関係は断ち切るムハンマドによる予言)を採用しているのは、第9月にラマダーンと言う断食を行うイスラム諸国を中心とする
宗教関連のイスラム暦(ヒジュラ暦、マホメット暦とも呼ばれる)だけです。平年は354日で閏年は365日です。農事暦としては不向きです。1年間で暦と季節が11日ずれることになり、グレゴリオ暦換算には超複雑な計算か対応表が必要です。そして、1日は、西暦のように午前0時から始まるのではなく日没から始まるとのことです。それでも、公式の暦は西暦を採用しています。
⭕太陰暦の起源は紀元前18世紀頃の古代バビロニア(≒現在のイラク南部)帝国とのことです。
日本の旧暦では、季節は太陽の動きをもとに決められた
『二十四節気』(立春,夏至,立秋,秋分,冬至など)で把握していました。
何もしなければ、約20年経過で夏至の頃に新春(=1月1日)を迎えることになってしまいます。そこで、毎年、翌年の大小の月の並べ方や閏月が必要かの作業を経て、二十四節気と占いを付けて暦を作成していました。
(余談1) ユリウス暦(紀元前45年1月1日から実施)では3,5,7,8,10,12,1月が31日、4,6,9,11月が30日、2月が閏年調整で28か29日の月になりました。1年は365日か366日です。
その以前の太陽暦は奇数月は30日偶数月は29日で1年は354日でした
古代ローマ時代(紀元前753年~)は今の3月から始まり1年は10か月(304日)でした。農閑期の冬には月日がありませんでした。その後、「冬眠しないのになんかおかしい」と感じたのかどうかはわかりませんが?今の1月と2月が追加されました。ユリウス暦では、その最終月に当たる2月に閏日(29日)を設けたとのことです。
⭕太陽暦の起源は紀元前2900年頃のエジプト暦からとのことです。
太陰太陽暦と比べると…、毎年変わって不便だった大小月や閏月などの複雑なカレンダーを、ユリウス暦からのグレゴリオ暦はシンプルで正確なカレンダーにしたといえます。画期的です。
(余談2) しかし、宗教上、ユリウス暦からグレゴリオ暦への改暦は各国によってバラバラです。プロテスタント国のイギリスは1751年までユリウス暦で1572年9月3日~1572年9月13日は省略された。ロシアやルーマニアでは1910年代まで、ギリシャは1924年までユリウス暦を用いていました。
(余談3) 現在でも、カレンダーアプリなどでは、中国暦やユダヤ暦の太陰太陽暦、イスラム暦の純粋太陰暦、ユリウス暦の太陽暦などの旧暦をサポートしていますが、これは歴史的必要性や、今でも旧暦を使用している地域や宗教教会などがあるためです。
また、現在の日本のカレンダーには六曜以外にも月齢・旧暦日付・二十四節気(+雑節含む)などを併記した商用カレンダーもたくさんあります。
(補足1)月齢や旧暦日付は直接/間接的にせよ潮汐と関係の深い漁業関係者などで利用されています。
(補足2)雑節(節分・八十八夜・入梅・半夏生・二百十日・土用・彼岸など)は made in Japan の暦で明治20年(1887年)から中国由来の二十四節気だけでは農事スケジュールなどで不足があったためカレンダーに追加併記されました。
尚、「雑節」については、国立天文台が「二十四節気」と合わせて毎年2月1日頃に翌年用の
歴要項として内閣府の祝日と一緒に発表しています。
(補足3)・明治5年以前の複雑な旧暦日付(≒飛鳥時代の元嘉暦~江戸後期の天保暦)は精度の違う8種類の暦がありました。
『現在の旧暦日付計算は天保暦を模倣し天体の運動理論や時刻の取り方などは現在の暦を流用している』(海上保安庁のサイト)とのことです。
現在の国立天文台は『公式な』旧暦計算は行っていないとのことです。
📆いずれにせよ、付随的に旧暦併記もありますが、世界中が繋がっている現在のカレンダーは、グレゴリオ暦が国際的に主流で、宗教とは分離する傾向にあります。
(休憩2)
1週間の始まりは何曜日?
宗教上の理由で土曜日か日曜日でしたが、1974年からのISO規格方式の国では月曜日になりました。これはISO(工業規格を国際的に統一標準化する機構)の勧告に従って、“生活や実務上では、週の始まりを月曜日にする” に準拠しています。
始まり曜日と週番号は?
①アメリカ方式(カナダ,日本,中国などアジア諸国,オーストラリア,南米諸国,南アフリカ,イスラエルなど)
・日曜日で1月1日を含む週を第1週とする。
ですが、カレンダーアプリでほ始まりが日曜日であってもISO規格方式の中途半端な週番号表示や1月4日を含む週を第1週とするカレンダーもあります。
12/31と1/1が同一週であっても12/31は53週、1/1は1週とする重複方式もあります。
始まり曜日が日~土で自由に選択できるアプリもあります。バラバラなのが現状です。
②ISO規格方式(ヨーロッパ,ロシア,インドなど東南アジア諸国,メキシコ,キューバ,ニュージーランドなど)
・月曜日で1年の最初の木曜日を含む週(=1月4日を含む週)を第1週とする。「=」であって「又は」ではありません。
③イスラム方式(中東・イスラム諸国など)
・土曜日で1年の最初の金曜日を含む週を第1週とする。
ですが、週始まりは日曜日です。
但し、週の始まりが土曜日のカレンダーが使用されることもあります。
以上、かなり複雑です。一般的な傾向として、ビジネス界での週番号は主な顧客層にあわせることが多いみたいです。日本では週番号付き壁掛けカレンダーが普及していないので、取引相手国から取り寄せることもあるそうです。尚、ビジネス手帳は約8割?が月曜日スタートで、ISO規格の週番号も普及しつつあります。
始まり曜日、週番号の
ISO 8601への統一標準化が普及すれば、
週番号付のカレンダーも普及すると思います。➡商取引などの日付に関わるミスやトラブルの軽減にもなります。
(補足1)『第3水曜日定休日』とは、
『3回目の水曜日』or『3週目の水曜日』週と回を曖昧に解釈していると
一般的なカレンダーの見方では、1週間ズレることもあります。
『来週の金曜日までには納品しろ。』は相手国やカレンダーアプリ次第で、何日かズレることもあります。
インターネット普及前(20世紀後半)のいろんな通信プロトコル乱立期【→通信規格がまちまちバラバラで、同一規格内でしか通信ができなかった】頃と同じ感じがします。
原則、ISO規格方式では月日は使われません。「第42週5」で5は暗黙金曜日(=月曜日から5番目)となります。『2022年10月21日の金曜日までには納品します。』は『2022-W42-5までには納品します。』などとなります。
我々は、日時を知るため年月日、曜日、時間を無意識に利用しています。但し、曜日に関しては、『数』では無く、例えば日曜日はSunday(英語圏)や星期天(中国)やDomingo(スペイン)やSonntag(ドイツ)など言語でバラバラです。曜日も1~7の数値表現のほうが個人的には覚えやすいです。
1960年代から1980年代の電算機メモリー容量はメガレベル(現在はスマホでギガ、サーバーでテラレベルですが)で小さくて貴重で超高価でした。当然、世界的に西暦年も下二桁で管理していました。1985年ならば85年としていたため、ノストラダムスの大予言か?現実の『2000年問題』も引き起こしました。
現在でもその慣習は残っています。
日本でYY/MM/DDは、イギリスではDD/MM/YY、アメリカですMM/DD/YYです。ベトナムで2月3日は3/2です。正式・簡略表記を含めて世界中の日付表記慣習は複雑でややこっしいです。ISO8061では大→小の順を一種類に標準化しているのでYYYY-MM-DDになります。
『令和4.10.21』など国の文化や言語は尊重すべきです。しかし、今や、世界は国境を超えています。正確なコミュニケーションも無視できません。
また、企業の四半期決算をはじめ『日曜日は近隣住民の迷惑に配慮して工事休み』とか『日曜日は書き入れ時』『土日は家族旅行』など週単位でスケジュール管理することも多くなっています。
ISO 8601では年は4桁で時間は24時制です。日本標準時はUTC(協定世界時イギリス付近の経度0度)よりも9時間早いので『2022-10-21T20:07:38+9:00』は年月日タイムゾーンとなります。
『2022年3月2日(水曜日)の10時までに納品』より相手国のタイムゾーン(アメリカは東西に長いので6つのタイムゾーンがあるなど)で『2022-W09-3T10±nn:nnまでに納品』の方が慣れればシンプルです。また、納品のサプライチェーンの追跡管理も今後のブロックチェーン(≒次世代インターネット?)になればシンプルかつ正確になります。
日付変更線(経度180度あたり!)では、東から西移動は1日進み、西から東移動は1日戻ることになります。グアムからホノルル航路では到着が前日になるとのことです。大阪から東京にいくだけなのに時間がずれていれば不便なので、国や地域が国内法で地方標準時を定めているに過ぎないとのことです。
尚、インターネット通信規格は統一標準化のISO参照モデルをベースにしています。➡統一標準化は欠かせませんでした。
統一標準化しなければ今のインターネット世界はなかったと思います。
また、物のインターネットのIOTも「一対多」「多対多」通信の必要性からIPアドレス軽量化技術:ICN(情報指向ネットワーク)もISO国際規格として発行されました。
(細かすぎる補足2)一見新品タイヤでも4~5年で「使用済みタイヤ」となります。
2000年から週番号2桁(ISO 8601)と製造年下2桁でタイヤに刻印されています。
0918 09=9週目 18=2018年
タイヤ購入時に製造された年-週番号が確認できます。
(細かすぎる補足3)日の変わり目の表し方も、ISO 8601では「00:00は日の初まり」「24:00は日の終わり」を表します。
『年齢計算に関する法律』は初日算入です。年齢は誕生日前日の24:00に加齢されます。但し、民法や会社法などでは00:00から始まるときはこの限りではない。とのことです。よって
このアプリの2月29日生まれの人の誕生日メッツセージは平年は2/28日(初日算入=前日24:00に加齢)に閏年は2/29日(初日算入=当日00:00に加齢)にしました。➡但し、このアプリの経過日数計算は
『初日不算入の原則』があるので、この場合、平年の2/28ときは3/1がみなし誕生日になります。
(備考)満6歳の4月1日から小学校入学です。『学校教育法』は 誕生日前日の24:00に加齢(=初日算入) されますので4/1生まれは3/31(=前日の24:00)に満6歳になるので翌日の4/1、4/2生まれは翌年の4/1に入学となります。
(∴補足)リマインド日数計算は状況に応じて『初日不算入』『初日算入』を使い分けてください。
また、時刻の「10:17」などの表記もISO 8601規格です。うるう秒」は「23:59.60」となります。
このカレンダーの現在時刻は日本語の「nn時nn分」です。
(追記)時刻は常時立ち上げていません。要求かあった時にスマホ内の日本標準時刻(=NICT:情報通信研究機構の原子時計時刻がインターネットプロバイダー{=ドコモ,au,Softbankなどのキャリア}のNTPサーバーに届きその基地局から4Gや5Gなどの無線通信でスマホに約1時間間隔で届く)を取得しています。日付変更時間帯にこのアプリを開いているときは、あなたの直感でアナログ(『時刻は 』タップ)で日付変更お願いします。
◉このアプリでの、始まり曜日と週番号表示はカレンダー画面下の[イメージ設定]で切替変更できます。
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始まりが日曜日の週番号は敢えてアメリカ方式のままにしています。
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始まりが月曜日の週番号はISO規格方式にしています。
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始まりが土曜日の週番号のイスラム方式は割愛しています。
お疲れ様です。最後までお読みいただき、ありがとうございました。🍰 ☕
補足説明 終わり
このアプリはホーム画面に追加で表示速度が短縮されます。
電文先頭のバージョンがスマホ内のアプリと同じ時、以降の不必要な通信はしません(但し、このアプリが稼働中でないことが前提です。ナビ操作の■などをタップでメインメモリーで稼働中のアプリを確認できます。)。
また、ホーム画面に追加で機内モードやオフラインでもこのアプリを起動できます。
ホーム画面に追加する >
尚、上のボタンで追加できないときは、この画面のブラウザの『設定︙歯車マークなど』を開き▶『ホーム画面に追加』や『インストール』や『電話に追加』や『アイテムの追加』などで対処してください。
このサイトのURLはhttps://mancalen.net/です
QRコードでは
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(株)デンソーウェーブの登録商標です。
この万年カレンダーの不具合、改善要望がありましたら
fnmtks3@gmail.com
まで
尚、毀誉褒貶は即刻削除となりますのでご了承ください。
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